海外のろう者へのインタビュー
外国手話研究部では,財団法人日本障害者リハビリテーション協会のご協力により,「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」で来日する各国ろう者リーダーと面談して,それぞれの国の手話やろう者の生活,ろう教育などについて情報交換をおこなっています。多くの人々に諸外国の手話事情を知っていただければと思い,今後,ホームページ上にインタビュー内容をご紹介することにしました。
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(3)ネパール&フィジー
2012年5月19日(土)、全国身体障害者総合福祉センター戸山サンライズにて、2012年度ダスキン研修生のサハデヴィアさん(ネパール)とエティカさん(フィジー)にインタビューした内容をご紹介します。
<サハデヴィアさん(ネパール)へのインタビュー>
研究員:サハさんは、来日前、何のお仕事をされていたのですか。
サ ハ:カブレろう学校に通いながら、カブレろう協会の手伝いをしていました。
研究員:学校へは何歳から行ったのですか。
サ ハ:私の場合はろう学校へ8歳で入学しました。実は、7歳で普通校に入学したのですが、口話ではコミュニケーションが難しくて辛くなり、カブレろう学校へ移ったのです。8歳から15歳までろう学校で学びました。その後カトマンズに行き、15歳から23歳まで学びました。24歳から25歳までの2年間は高校で学びました。そして高校卒業後、日本へ来ました。
研究員:サハさんは生まれたときから聞こえないのですか?
サ ハ:はい。
研究員:ネパールは、普通校とろう学校は分かれていますか。
サ ハ:はい。
研究員:両者の交流はありますか。
サ ハ:ありません。カブレろう学校の生徒数は40人です。
研究員:ろう学校はいくつありますか。
サ ハ:全部で14校。高等部があるのは、そのうち3校だけです。そのほかは、幼稚部、小学部、中学部までです。
研究員:ろうの先生は何人いますか?
サ ハ:カトマンズの学校では、先生25人のうち、ろうの先生は4人。ほとんどが健聴です。
研究員:4人のろうの先生は何を教えているのですか。
サ ハ:手話や絵を教えたり、民族舞踊などを教えたりしています。
研究員:ネパールでは、地域によって手話は違いますか。
サ ハ:だいたい通じますが、手話は学校ごとに少し異なります。カトマンズあたりでは同じですが、ポカラあたりでは手話が少し違います。でも、表現を考えながら工夫して手話を表すので、だいたい通じます。
研究員:標準手話はありますか。例えば、研究して標準手話を作って普及するとか。
サ ハ:あります。
研究員:ネパール手話の本などはありますか。
サ ハ:手話の本はあります。
研究員:誰が編集しているのですか。
サ ハ:ネパールろう者・難聴者連盟(NFDH)(以下、連盟)が責任をもって編集し、本は24の協会に配布されています。
研究員:ろう学校の健聴の先生は授業で手話を使っていますか。
サ ハ:はい。
研究員:口話ではなく、手話で教えなければならないのですか。
サ ハ:そう。手話だけで教えます。
研究員:口話と一緒に表すのではないですか。
サ ハ:いいえ、手話だけで教えます。
研究員:では、手話を知らなかったら、ろう学校では働けないということですね。もし、先生が手話を知らない場合はどうするのですか。
サ ハ:健聴者の場合は、手話を覚えてからろう学校の先生にならなければいけないのです。
研究員:健聴の先生は手話をどこで学ぶのですか。学習方法について教えてください。
サ ハ:たとえばサークルのように、どこかの会館などを借りて、健聴の先生を集めて手話を教えます。ちゃんと手話を身につけてから、ろう学校へ赴任するのです。
研究員:身につけたかどうかの判定方法はありますか。たとえば、手話の試験などはあるのですか。
サ ハ:カトマンズで、連盟がコミュニケーションがとれるかどうかなどをチェックします。
研究員:チェックする担当に、ろう者は含まれていますか。
サ ハ:ろう者はいます。担当者が面接のような形でチェックし、OKかどうか審査します。技術が不十分な場合は、補習が必要になります。
研究員:サハさんは、ろう学校を卒業後に日本へいらっしゃいましたが、ネパールに帰国後はどんな仕事をする予定ですか。
サ ハ:カブレろう学校の教員になり、子どもたちに手話を教えたいです。
ところで、「カブレ」という手話ですが、これは、木がたくさんあり、その枝葉が大きく伸びている様子が有名なので(右の写真を参照)、それを表しているのですよ。
(カブレの東隣のラメチャップ県との県境。木がたくさんある。)
研究員:ネパールでもろう児の親は、健聴者が多いのでしょうか。
サ ハ:そうです。健聴者が多いですね。
研究員:健聴の親たちは手話を使えるのですか。
サ ハ:手話は使えません。筆談だけです。
研究員:親子のコミュ二ケーションも筆談だけですか。
サ ハ:筆談もありますが、手話を学びたいという親を集めて、手話を教えることもあります。
研究員:サハさん以外のろう学校卒業生はどのような仕事についているのですか。
サ ハ:ウエイター、大工、料理人、車・バイクの修理、木工、伝統工芸などです。
研究員:パソコン関係の仕事はありますか。
サ ハ:はい。ろう者もいますが、ほとんどは健聴者ですね。
研究員:今後はもっとろう者が増えるといいですね。
サ ハ:そうですね。
研究員:ネパールでは、ろう者同士の結婚はありますか。
サ ハ:以前はダメと言われましたが、今は恋愛も自由になりました。
研究員:手話を学びたいと言う健聴者はたくさんいますか。
サ ハ:はい、います。
研究員:男女の比率はどのくらいですか。
サ ハ:女性が多いです。
研究員:日本と同じですね。
サ ハ:そう。どうも男性は口で話す方がいいらしいですね。(笑い)
研究員:ネパールでは、テレビ放送に手話通訳(ワイプ)は付いていますか。
サ ハ:小さいワイプではなく、画面半分くらいに手話通訳が入りますが、手話での番組は土曜日のお昼のニュースだけです。日頃の情報源はニュースの字幕だけです。ドラマなどには、字幕も付いていません。
研究員:字幕付き放送を増やす必要がありますね。
サ ハ:はい。手話通訳と字幕の両方を付ける必要があります。
研究員:ネパールろう協の組織力はどうですか。
サ ハ:みんな協力して、ジョシさん(元連盟会長、ネパール制憲議会議員)のもとに、みな団結しています。
研究員:ろう協が活動するために会費制度はありますか。あるいは、政府からの補助金はありますか。
サ ハ:政府からの補助はありません。スウェーデンやイギリスから活動支援や研修などのための補助があります。
私は、カブレろう協の会員だけで、連盟にはまだ入っていません。
研究員:サハさん以外のろう者で、連盟にも入っている人はいますか。
サ ハ:います。30歳の男性で、新しく連盟に入ったばかりの人がいます。
研究員:地元の協会に入ると、自動的に上部組織(ネパールろう者・難聴者連盟)に入るのですか。地域で支払った会費の一部は、上部組織に納められるのですか?
サ ハ:いいえ。自動的に連盟の会員にはなりません。ただし、地元の協会で払った会費の一部は、上納金として上部組織に支払われます。それは、活動資金、本の配布などに使われています。
研究員:1年に1回、会員一同が集まる集会などはありますか。日本では、今年(2012年)6月に京都で全国大会が開かれます。
サ ハ:はい、あります。
研究員:何人くらい集まりますか。
サ ハ:ポカラの他にも、各地域からたくさん集まります。将来的には、カブレの協会も上部団体に入れるようになりたいです。カブレはまだ組織されたばかりなので、もっと経験を積まないといけませんね。
研究員:これからもがんばって下さい。
サ ハ:はい、ありがとうございます。頑張ります。
<エティカさん(フィジー)へのインタビュー>
※一部、サハさんも答えています。
研究員:エティカさんの故郷フィジーには、ろう学校はいくつありますか。
エティカ:スバに1つだけあります。
研究員:ろう学校の子供たちは高校まで一緒の校舎ですか。
エティカ:幼稚部から小・中学校まで一緒です。高校は同じ名前ですが、健聴の生徒と一緒に勉強するようになっています。
研究員:健聴者と一緒なら、手話は使わないで学ぶのですか。
エティカ:手話通訳がついています。通訳は各学年に2人ずついます。
研究員:手話通訳者が手話を学ぶ方法や場所について教えてください。
エティカ:フィジーろう協やろう学校の担当教員が通訳者育成に係っています。
研究員:手話通訳者の能力を判断するのは誰ですか。
エティカ:ベテランの通訳者と勉強中の人とが組んで、小・中学校へ行ったり、大学・裁判所・病院等に一緒に行ったりして、ベテランの通訳を見て学び取るというやり方です。
研究員:通訳者の試験はありますか。あるとしたら合否の判断は誰がするのですか。
エティカ:私も含め、ろう協の役員で判定します。
研究員:試験に関しての費用は国から出ますか。
エティカ:はい、国から出ます。
研究員:サハさん、ネパールも同じですか。
サ ハ:はい、国から出ています。
エティカ:アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドからも、フィジーの政府からも出ています。
研究員:サハさん、ネパールには手話通訳者はたくさんいるのですか。
サ ハ:まだ少ないです。連盟の事務所に入ったばかりの職員がいますが、現在手話を勉強中です。これからですね。
研究員:通訳者の養成はいつ頃から実施しているのですか。
サ ハ:つい最近始まりました。もっと補充できるよう、要望を出しているところです。
研究員:フィジーのろう学校では、中学部までは健聴の先生が手話で授業を教えるのですか。
エティカ:健聴の先生もろうの先生もいます。ろうの先生は5人、健聴の先生は6人います。
研究員:合わせて11人ですか。教え方は、手話だけですか。
エティカ:声と同時に手話も使います。声を出さずに口話だけというのはありません。
研究員:ろうの先生の授業でも口話を一緒につけますか。
エティカ:はい。
研究員:そうですか。ネパールとは違いますね。ネパールでは声は出さないのですよね。
サ ハ:はい。声は出しません。
研究員:フィジーでは口話も一緒なのですね。
エティカ:はい。でも、特に意識せず、ごく自然に口話がつくように思います。
研究員:ろう児の親は健聴が多いですか。
エティカ:両親がろうで、生まれた子供が健聴の場合もあれば、両親が健聴で生まれた子供がろうの場合もあります。
研究員:エティカさんは生まれた時からろう者ですか。
エティカ:生まれた時は聞こえていました。3~4才の頃に病気で聞こえなくなりました。
研究員:3歳まで聞こえていたのなら、口話ができますか?
エティカ:いいえ。少し聞こえていただけでしたから。
研究員:聞こえなくなってから、ろう学校へ入ったのですか。
エティカ:いいえ、私はろう学校の経験はありません。健聴の学校に通っていました。大学へも行きました。
研究員:健聴の学校だけでしたら、エティカさんは手話をどこで覚えたのですか。
エティカ:ろう協にお願いして、ずっと同じ手話通訳を付けてもらい、手話を覚えました。
研究員:聞こえない生徒はエティカさんだけだったのですか。手話通訳はいつも一緒だったのですか。
エティカ:そうです。
研究員:通訳者への費用は国が出してくれましたか。
エティカ:政府が負担してくれます。
研究員:自分は払わなくていいのですか。
エティカ:自分で負担することはありません。
研究員:そういう法律があるのですか。
エティカ:はい。法律があります。
研究員:フィジーでは、手話を言語であると公的に認めていますか。
エティカ:認めています。
研究員:サハさん、ネパールの場合はどうですか。手話は言語であると認められていますか。
サ ハ:まだ認められていません。
研究員:フィジーで認められたのはいつですか。
エティカ:去年だったかな…いや、2010年だから3年前です。国連で手話が言語として認められてからですね。ありがたいと思います。
研究員:フィジーにもろう協会はありますよね。島ごとにあるのですか。
エティカ:島ごとにはないです。全部で2つだけあります。
サ ハ:日本にはいくつあるのですか。
研究員:日本の場合、連盟のもとに9ブロックに分かれており、各都道府県、そして各市町村と、たくさんあります。
エティカ:そうですか。
研究員:フィジーには手話の本はありますか。
エティカ:あります。
研究員:発行したのは最近ですか。それともずっと以前ですか。
エティカ:2005年に出しました。
研究員:編集したのは誰ですか。
エティカ:日本手話研究所のような団体があり、そこで編集しました。
研究員:たしか、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業で来日したセレヴィ氏とトマシ氏(第6期生)の2人がその団体に入っていますね。
エティカ:はい。その2人はフィジーろう協会の仕事をしています。私は、ろう協会とは別の上部組織の障害者団体の仕事をしています。
研究員:ろう協会の組織運営についてうかがいますが、国からの補助金もらっているのですか。
エティカ:通訳料などは国が負担します。
研究員:手話通訳の派遣調整などは、国からお金をもらって、協会の責任でやっているのですか。
エティカ:通訳料は、行政が払います。通訳者が、いつ、どこで、何の通訳を、何時から何時までなどを行政に請求し、国が通訳者に支払います。行政が手話通訳の派遣調整をしています。
研究員:そうですか。ネパールは、派遣はまだですか?
サ ハ:まだです。
研究員:フィジーのろう者の人口はどれくらいですか。
エティカ:2,000~5,000人くらいです。そのうち、協会の会員は50~100人くらいです。
研究員:50分の1くらいですね。
エティカ:330くらいの、たくさんの島がありますから。
研究員:たくさんある島へは船で行くのですか。
エティカ:そう、船で行き来します。
研究員:船では不便なことも多いですね。遠いし。
エティカ:でも、楽しいですよ。手話も違うし。
研究員:それぞれの島で手話が違うのですか。
エティカ:はい、違います。
研究員:エティカさんの手話は、スバの手話ですか。
エティカ:そうです。私の手話はスバの手話です。
研究員:島が異なると、手話は通じないのでしょうか。
エティカ:通じません。でも2005年に手話の本を作ってからは、本を配布しているので、少しずつ統一されてきています。
研究員:配布した手話の本に載っている手話は、スバの手話が多いですか。
エティカ:はい、そうです。
研究員:その本には、例えば、島々の古い手話なども載っているのですか。
エティカ:はい、載っています。
研究員:それぞれの島の古い手話を失くさないように、大切に保存しているのですね。
エティカ:はい。でも、中にはスバの手話を好み、島の古い手話はイヤだという人もいるので、そのあたりが難しい問題です。古い手話を使う人たちに失礼になってはいけません。
研究員:フィジーの手話の中に、アメリカ手話を取り入れたような表現はありますか。
エティカ:それはありません。むしろ、オーストラリアの手話に近いと思います。
研究員:ネパールではどうですか。アメリカ手話の影響はありますか。
エティカ:ありません。ネパールの手話だけです。
研究員:フィジーではオーストラリアだけで、その他の国の手話を取り入れたりしていることはないですか。
エティカ:以前、手話がなかった頃に、オーストラリアの人がフィジーに来て、初めてフィジーにもろう者がいることがわかり、(手話の)本を持ってきてくれたのです。
研究員:若いろう者と年配のろう者で手話は違いますか。
エティカ:同じだと思います。
研究員:ネパールではどうですか。
サ ハ:年寄りと若い人では手話は違います。
研究員:例えばどんな違いがありますか。
サ ハ:若い人は普通の手話で通じますが、年配の人は身振り的な手話を使います。若い人の手話は読み取れますが、年配の人の手話とは違いますね。昔の古い身振り的な表現は分かりづらいです。
研究員:日本では最近、新しい手話を作る時、指文字を取り入れることが多くありますが、フィジーではどうですか。似たようなことはありますか。
エティカ:あります。英語の指文字を使います。
研究員:英語の指文字を使って、新しい手話を作っているのですね。
エティカ:そうです。
研究員:ネパールではどうですか。
サ ハ:新しい手話を相談して決める際には、指文字を使うことも多いです。
研究員:サハさん自身は、それに対して抵抗は感じますか。
エティカ:私は、指文字を使わずに手話だけで作った方がいいと思う。でも、学校へ行っている人は、指文字が入っていてもわかります。その一方で、未就学のろう者には通じないので、両方あってもいいと思います。
研究員:フィジーでは、ろう者の手話と健聴者の手話は違いますか。
エティカ:遊びや交流会、スポーツなどの時は、手話は同じです。でも、高校・大学では手話に違いがあります。高校・大学では手話通訳者の手話は、英語の文章に対応した表現になります。それ以外の場面では、普通にろう者の手話を使っています。
研究員:ネパールではどうですか。
サ ハ:違いがあります。健聴の場合はネパール語どおりの表現、ろう者の場合はネパール語の文章に対応していません。
研究員:ろう者の手話は、顔の表情や身体全体で表現しますが、手話を学ぶ健聴者たち
は表情などが乏しいということはありますか。
サ ハ:ありますね。ろう者は表情や身振りをともなって豊かに話をしますが、健聴者は、そうしようと思ってもできない。表情もなく、ただ手を振っているだけ。「食べた」と表すだけでも、健聴者とろう者とでは違う。手話で話をする時は、表情なども一緒に表す必要がありますね。
研究員:エティカさんはどう思いますか。
エティカ:同じ意見です。ろう者は身振りも表情も豊かです。
研究員:フィジーの手話通訳者は表情豊かですか。
エティカ:身振りも表情も豊かです。例えば、「飛行機」という手話表現の場合も、(ほおをふくらませるなど)顔の表情をつけます。
研究員:手話を知らない健聴者でも、身振りや表情は豊かですか。
エティカ:そうですね。だいたい言っていることは分かります。
研究員:ネパールの健聴者は表情が乏しいということですから、これは文化の違いかな(笑い)。
研究員:最後に、お二人の将来の夢を教えてください。
エティカ:私は国連で働きたいです。帰国したら、すぐに相談するつもりです。これから忙しくなると思います。アジア太平洋地域の子供たちを支援するユニセフのような仕事をしたいです。将来は人々を援助する仕事がしたいのです。
研究員:サハさんはどうですか。
サ ハ:カブレのろう協会に協力し、また、24の協会が集まれるような運動に協力したいです。そしてカブレろう学校の教師になりたいです。
研究員:本日はお二人とも、お忙しい中、どうもありがとうございました。
(財)日本障害者リハビリテーション協会〔ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業〕http://www.normanet.ne.jp/~duskin/index.html